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 この作戦の総指揮を執ったフォン・ベルグマン将軍は、ルーアン湾曲部の外に出たブール=アシャール~ブールテルード~エルブフの線を維持するために擲弾兵第3連隊や猟兵第1大隊、竜騎兵第1連隊などを駐屯させ、予備として歩兵3個大隊をグラン=クーロンヌに残し、残りの部隊をルーアンに返すのでした

※1月5日以降、ルーアン湾曲部とその外に残った部隊*ブール=アシャール駐屯ヴィルヘルム・アルベルト・フォン・プレッツ中佐(独第1猟兵大隊長)指揮○擲弾兵第3連隊・F大隊○猟兵第1大隊・第1中隊○竜騎兵第1連隊・第1中隊○野砲兵第1連隊・軽砲第1中隊*ブールテルード駐屯エアハルト・ヴィルヘルム・エグベルト・フォン・レーガト大佐(擲弾兵第3連隊長)指揮○擲弾兵第3連隊・第2大隊○猟兵第1大隊・第3中隊○竜騎兵第1連隊・第2中隊○野砲兵第1連隊・軽砲第2中隊*メゾン・ブルレ駐屯○擲弾兵第3連隊・第1大隊*エルブフ駐屯フェルディナンド・ハインリッヒ・エルドマン・エヴァルト・フォン・マッソー中佐(竜騎兵第1連隊長)指揮○第43連隊・F大隊○第41連隊・F大隊○竜騎兵第1連隊・第3,4中隊○野砲兵第1連隊・重砲第2中隊・この内歩兵1個中隊をポン=ドゥ=ラルシュの渡河点(橋梁)守備に回します

*グラン=クーロンヌ駐屯(予備隊)○第41連隊・第1、2大隊○第43連隊・第2大隊(1月6日にルーアンから派遣)*オワセル(ルーアン湾曲部内・トルヴィルの対岸)駐屯○第1軍団野戦工兵第2中隊の半数 セーヌ河口の港湾都市、ル・アーブルではアメデ・アーネスト・バーソロミュー・ムーシェ海軍大佐(後のパリ天文台所長)が先頭に立って組織(司令官)し、ル・アーブル地区の護国軍部隊指揮官プルタンジァ中佐(准将扱い)が実質率いた約1万2千と各種野砲18門の兵団が1月2日、ロワ将軍の動きに同調する形で動き始め、最前線のボルベック(ルーアンの西北西47.5キロ)からコドゥベック=アン=コー(同西北西28.6キロ)に向けて出撃しましたが、4日になると急ぎ引き返し元の前線を構築ました

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この間、独軍前線部隊(近衛騎兵旅団中心)はゆっくりと進む仏軍の縦隊に付かず離れず監視していましたが、特に大きな偵察隊がフォヴィル=アン=コー(ボルベックの北東12.3キロ)に進んだことを知ったプルタンジァ将軍が「ル・アーブルと自軍との間に敵が入り込む前兆」と考え、包囲攻撃を恐れて撤退したものと言われています

 ムーシェ 4日夜

ロア将軍も敗退したことを知ったプルタンジャ将軍は更にル・アーブルに向けて後退し、5日夕刻時には前哨線を自軍左翼よりオクトヴィル=シュル=メール(ル・アーブルの北6.8キロ)~モンティヴィリエ(同北東8.3キロ)~アルフルール(同東6.8キロ)に置き以前に増して防衛範囲を絞り、文字通り背水の陣で兵員を集中させるのです

 一方、セーヌ南方のロワ将軍兵団はリスル川左岸に退き、ポン=オードゥーメル(ブリオンヌの北西23.3キロ)~ブリオンヌ間に再展開しました

 これでセーヌ河口方面の仏軍も完全に守勢に転じ、それはアミアンの東、ソンム中流域バポームの戦いで仏北部軍がアラスへ退却した時と同じくし、アミアン在の独第一軍本営をほっとさせるのでした

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ロベール・ル・ディアブル城址と独軍歩哨(1871年1月撮影)☆ バポーヌ会戦の後のソンム流域(1月5~7日)バポームの戦い(仏の戦史絵) 1月5日

バポームには独騎兵第3師団が入城し、再び北方アラス方面への監視拠点となります

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 同騎兵師団長、伯爵ゲオルク・ラインハルト・フォン・デア・グレーベン=ノイデルヘン中将はアラスに向けて斥侯複数を放ち、仏北部軍がアダンフェール(アラスの南南西11.8キロ)~ボイエル(同南10.2キロ)~クロワジル(同南東12.5キロ)の線に前哨を置いていることを確認しました

このことからフォン・ゲーベン将軍の第8軍団本営は、仏北部軍がアラスの北・スカルプ川を越えた先の安全な「仏白国境要塞地帯」には退くことなく、アラスの南面に留まって直ぐにでもペロンヌへ再出撃する準備中にあることを知るのです

 フォン・ゲーベン将軍は5日早朝にアミアンのフォン・マントイフェル将軍から許可を得、「バポームの戦い」に参戦した諸隊に対しこの日一日の休養を許すと共に輜重・弾薬縦列の尻を叩いて各種軍用資材、特に弾薬の補給を急がせました

その最中、翌6日にソンム川左(ここでは南)岸に退いていた第15師団に再びソンムを渡河させ、ペロンヌの東方に展開している諸隊と共にアラスへの本街道(現・国道D917号線)の側面に展開し、仏軍が再び南下を図った場合にその側面から迎撃するよう配置する計画を立てるのです

 この命令に従い第15師団は6日、アルベール~ブレイ=シュル=ソンム(ペロンヌの西15.7キロ)間に展開し、アミアンの西・ピキニーでソンム河畔を警戒していたエデュアルド・フォン・ペステル中佐の支隊は、槍騎兵第7「ライン」連隊の第4中隊のみピキニーに残してアミアンの北東側へ送られアシュー=アン=アミエノワ(アルベールの北西11.6キロ)まで前進しました

第8軍団砲兵隊はソンム南岸に残ってフェイ(ペロンヌの南西10.4キロ)とフラメルヴィル(=レヌクール

フェイの西南西7.3キロ)に駐屯し、ペロンヌの東側、マルケやロワゼル、ニュルにあったフォン・ヘルツベルク大佐とフォン・ヴィッティヒ大佐の両支隊は第16師団長の男爵アルベルト・クリストフ・ゴットリープ・フォン・バルネコウ中将率いるペロンヌ攻囲兵団に隷属することになります

この内フュージリア第40「ホーフェンツォレルン」連隊の第3大隊と驃騎兵第9「ライン第2」連隊の第3中隊は新たな支隊となってアン(ペロンヌの南南東22.6キロ)へ送られましたが、その行軍途上フュージリア第40連隊の第9,10中隊に本隊帰属命令が出されて7日に連隊へ戻りました(アンには第11,12中隊が進みます)